2019年12月16日月曜日

Ryoso Cup 2019 結果報告 & ちゆきさんの感想ブログ

今回はRyoso Cup 2019の結果報告をしていきます!

目次
1. Ryoso Cupの概要
2. ちゆきさんの感想ブログ
3. 大会結果

1.Ryoso Cupの概要
Ryoso Cupは毎年12月に関西で開かれる、BP Styleの学生大会です。ジョイントが可能な2日間大会で、入賞するとお肉が貰えるかも...!

2.ちゆきさんの感想ブログ
ずちゃっずちゃっずーんちゃっ
| ずちゃ | っず | ちゃっ | ずーん | ちゃっ|


ブログに投稿するのは1年半ぶりになります、ちゆきです。
文章を書くのは好きです。立ち止まって振り返る暇なく過ぎ去ってゆく日々の中、書くために思い出そうとすることは、物事の咀嚼に時間のかかる私には必要です。
書こうと思うのは自分が何を思うのかよく分からないことについてで、だから向かう先は自分でもよくわかりません。迷子の記録ですね。読まなくていいと思います。


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〈さいんぽすと〉
・りょうそう杯振り返り
・感想でもない何か


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〈りょうそう杯〉
・りょうそう杯に行きました
UT4年のわたなべたかゆき先輩と組んでいただいてりょーそーに行きました。
練習はJBP後にプレパを二回(8〜9ラウンド分)、サイドを決めてプレパではなく、ラウンドの流れを予想する、という練習をしました。が、結局私がたかゆきさんの解説を聞く会になりました。。ラウンドはやってません。
ロールはリーダーとウィップでした。

・「おめでとう?」
秋TのQFが悔しかったのでSFを目標に臨み、(繰り上がりで)4位ブレイクになったため、preSF免除で無事Semi Finalistになりました。
初SFだったので色んな人が祝ってくれたのですが、実力で行った気がしないので実感があまりなく、「おめでとう!」に対して「えっ?あ、ああ…」みたいな反応を返すことになりました。素直に喜びたかった人生でした。

・親友
深刻に友達がいませんでした。あまりに知り合いがいないので、ORでの話し相手にと思ってぬいぐるみのトナカイを連れて行きました。新幹線はじめ移動中非常に恥ずかしかったです。
ラウンド間私の愚痴を聞くことになった彼ですが、ORで話しかけられたり、写真を撮ってもらったりと中々楽しそうでした。狭い部屋から神戸に来られて満足だったのではないでしょうか。

・たかゆきさんすごい
早かったです。モーションを見てからサインポストを出すまでが、一つの事象を示すための分析を思いつくのが、すぱっと言語化するのが。私の半分くらいの時間で終わっていて、素直にすごーってなりました。経験値だよ、なんて言っていましたが、経験値は努力の積み重ねだよなって。
引き出しが多かったです。具体例の数、表現の幅の広さ、スピーチがモノクロじゃなくてちゃんと色づいていて、机上の空論っぽくなくて羨ましかったです。
ディベートの楽しみ方を知ってる人だなって思いました。勝ちを貰うことだけが目的じゃない。
とても勉強になりました。

・ありがとうございました
組んでくださったたかゆきさん、
提供を引き受けてくださった平本さん、
宿取ってくれたのぞみちゃん、
ほぼ初対面の他大生と観光してくれたUTのちょうくん・朴くん、
ごはん入れてくれたUT+αのみなさま、
コミ・ACのみなさま、
おめでとうってメッセージをくれたみなさま、
2日間心の支えになってくれたトナくん、
ありがとうございました。


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〈感想というか〉〜よくある大学生の悩み(多分)〜

後輩と組んだ秋T、同期と組んだうーまんず、クロージングとしてやることは、「オープニングに足りないものを埋める」ことでした。モーションを肯定/否定しきるために必要なものを洗い出す。その中でオープニングに足りないものを足す。何か残ることを祈る。残らなかったら素直に死ぬ。
りょーそーのクロージングは、「生み出す」ことだった気がします。モーションは、より大きな問いを考えるための一つの入り口、みたいな。パートナーだったUT4年のわたなべたかゆきさんはクロージングのプレパ中いつも「何か面白い話できないかな」と言ってた気がするし、SF後にジャッジだった平本さんが「面白かった!たかゆきワールドに誘われた」と笑っていたのも覚えています。
「そもそも芸術って何ですか」
「人権ってなぜ大事なんですか」
「人権って本当に大事なんですか」
立論するための材料としてちょこっと言及するんじゃなく、モーションという一つの切り口からそれらを眺める。創造、発見、再定義、自分の中での意味付け、自分ではない誰かに思いを馳せること、put myself into someone else's shoes.
15分で出せる答えなんてたかが知れていて、そういう意味では必ずしも「勝てる話」ではないのかもしれません。でも、論題を通して色んな側面から事象を眺めるのって、当たり前のようにそこにあったものに出会い直すみたいで面白いです。
自分にとっての当たり前は、誰かにとってはそうでないかもしれない。頭ではたぶん知ってるそれに直面することは意外とない中で、自分の「当たり前」を疑うきっかけをくれるのがディベートなのかもしれませんね。
「たかゆきワールド」の入り口らへんから背伸びして中を見ようとしてたSFはひたすら余裕がなくて、それでもあのGWでなければおそらく触れなかった世界に一歩入った(かもしれない)ことはやっぱり印象深いです。

というか、何かを生み出そうとした15分間のある人生は、それがないものよりきっと良いものです。たぶん。



じゃあ私が「ちゆきワールド」を持てるのかと言ったらおそらくそうではなくて、それは私が考える人間でないからです。
プリンシプルは全力で避けてきたし、いつも目の前のことに精一杯だし、答えの見えない高尚な問いからは目を背けてしまいたいです。りょーそーの前日に受けた授業中、"Liberal Arts Education is about the liberation from your ignorance" と力強く宣う先生とふと目が合ってしまってうっかり泣きそうになりました。ignorantではダメなのかと問いたいです。


「考えること」であるディベートをしていて「考えずにいること」は尊ばれません。「難しいことはわからん!」と言って会場を後にしたら競技にならないので当然と言えば当然ですが、「そんなの考えてもわかんないよ!」ってやめてしまおうと何度思ったかわかりません。

知らなかったことを知る。学び続ける。
物凄く勇気の要ることじゃないですか。
自分の無力さに向き合わなければならない。知りたくなかったことを知ってしまうかもしれない。
"The truth will set you free" ?
− Sometimes I feel like my pursuit makes me even weaker.
当たり前だと信じて疑わなかったことへの懐疑は私を恐ろしく不安にするし、たとえそれが錯覚だとしても、自分の存在は、価値は、確かなんだと思わせてくれるものに支えられていたいです。
"Cogito ergo sum"?
− Isn't that too unstable to live in the world?


今年の春学期、市井史からナチスを考えるという授業を受けました。
ホロコーストを受けて行われたいくつもの心理学実験を見るたびに暗い気持ちになったのは、自分を投影したためでしょうか。
私がもし20世紀半ばのドイツに生きていたら、ホロコーストに加担したのでしょう。上に逆らえず手を下したかもしれないし、自らの利益のために積極的に動いたかもしれない。行われていることを知った上で目を背ける。心を痛めつつも何もできない。
声を上げる自分の姿を想像することはできません。
21世紀の日本に生きる私にはできることがたくさんある気がして、自分を守りつつより良い人間に近づけるのではないかとすら思えて、でも根本は変わらない気がします。
この時代のこの場所に生きている間のみ成立する「善い人」に、一体何の意味があるのでしょう。

格差について、貧困について、途上国について、世界にある様々な問題についてスピーチで触れながら何もしない自分がとても嫌だったので、夏頃から途上国の教育支援の募金を始めました。Child Fund Japanという団体から、毎月4000円年に5万円弱で教育支援の必要な子ども一人を支援するというものです。
私が支援しているのはジャヤプリヤちゃんというスリランカの女の子で、彼女の写真を持ち歩くようになってから、4000円の遣い方に敏感になりました。
外食してお酒を飲んだら消えてしまう4000円。私が人と過ごすその2時間に、一人分の教育に値する価値があるでしょうか。

「ちゆきって、たとえそれが不正義の、他の誰かの犠牲の上に成り立つものだと知っていても、自分がその地位に居続けることで得られる恩恵を受け続けるタイプ」というような指摘を受けたことがあります。
ショックでした。返す言葉もありません。


"It's a matter of extent"
ディベーターとしての自分はこう反論するでしょうか。
それでも最近のひかるの言葉を借りるならば "I'm not entitled to debate" という思いはずっと私の中にあって、ignorantであり続けたらおそらく芽生えることのなかったその感情は物凄く私の邪魔をしてきます。

「いい人」という褒め言葉を素直に受け取れて、募金したら良いことをした気になれて、自分の存在意義を疑ったりなんてしない方が幸せだったんじゃないでしょうか。better human beingなんて目指す必要のないものかもしれないし、ディベートだって辞めてしまえばいい。
無知でいることの傲慢さが生きるのを楽にしてくれるんだとしたら、ignorantでいることは果たして悪いことなんでしょうか。


この問題に対する自分の答えはまだ出ていません。

というのは嘘で、たぶん心の中にはあります。

ディベートを続けてきたこと、
大学をやめないこと、
困っている人を見たら少しは心が痛むこと、
彼らのために何か出来ないかと思うこと、
物事に無関心でいる自分を許したくないこと…

Stay ignorant という生き方は選べないのかもしれません。


それでいて覚悟ができないです。

何を軸にして生きる?
見捨てたものは捨て置く?
もし派手に転んだら?
自分の中のjustに従えない自分をどうするの?
自分の存在価値を見つけられなかったら?


臆病で弱気で中途半端な私は逃げられるだけ逃げて、でも結局逃げ切れなくて、矛盾しては落ち込んで、自分のことが嫌になって、文献を読んでいて続けられなくなったり、授業中急に辛くなったりするのです。
大学生として致命的ですが。


How should I live?
出会って良かった問いだと思います。
How should I live?
出会わなかったら良かったとも思います。


liberation from the ignoranceは茨の道で、突き進む覚悟も後戻りする潔さも持てない私は途方に暮れているのです。



The life that struggle in the thoughts is better than the one it doesn't... 


But is that life a better one for me?


ずちゃっずちゃっずーんちゃっ
| ずちゃ | っず | ちゃっ | ずーん | ちゃっ|


ずちゃっずちゃっずーんちゃっ
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ずちゃっずちゃっずーんちゃっ
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たらったら らららら たらったら らららら たらったら らららら るるるるん るるるれ
ららったら ららっら たらったら らららら たらったら らっるりり〜


3.大会結果
-Semi Finalist
ずちゃっずちゃっずーんちゃっ | ずちゃ | っず | ちゃっ | ずーん | ちゃっ|
(Chiyuki Mori, joint)

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