2012年12月3日月曜日

The 18th Umeko Cup

こんばんは!
広報のみきです。

今日は10月27日、28日に津田塾大学主催で開催された第18回 梅子杯の報告です。
梅子杯は、毎年一年生最強決定戦と位置づけられる大会で、各大学2チームというチームキャップがあります。多くの大学で、エリミネとして部内戦が行われ、出場できる4名を決めます。
ICUでもエリミネを行い、白熱のバトルが繰り広げられました!
今年の参加メンバーは下記4名でした!
 
ICU A
Hitomi Takai & Takahiko Kondo

 
 
 
 
ICU B
Emiko Imori & Ken Kuroki

 

梅子杯は、大学名だけでなくエリミネで敗れた同期の想いをも背負って挑む大会。
部長のこうきさんの熱いサポートのもと、猛練習の日々。
4人ともディベート漬けの生活だったと思います。

結果は・・・

ICU A がCHAMPIONになりました!!!!!

個人でもICU Aの2人がそろって2nd Best Speaker Prizeを受賞しました。



おめでとうございます!

今日の感想文はICU Aとして初ブレイク・初優勝を果たした近藤隆彦が登場です。

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GFスピーチ中 たかひこ


 みなさんこんにちは。今回、第18回梅子杯の感想を書く機会をいただきましたICU DS 16の隆彦です。梅子杯は初めてのディベートの大きな大会で、それはそれは感慨深く、いろいろと思うことが多くあり、梅子中に感じたことなどを整理したいなとも思ったので「僕の話」ばかり長々と書きました。最初に謝っておきます。自己中心的に僕の話ばっかり書いてごめんなさい!


“The problems that exist in the world today cannot be solved by the level of thinking that created them.” - Albert Einstein

アインシュタインが言及した”problem”の次元と、僕が梅子杯に出場するにあたって直面していた”problem”の次元には大きな違い、隔たりがあると思うが、梅子杯前日にこの引用を見ることで新たな着想と勇気を得て梅子杯に望めたことは確かである。

僕が直面した問題とは、まさに、ディベートのラウンドで必要とされていることをせずに、自分の好き勝手に話す、という致命的なものであった。SQ→AP→Impactという、まさに当たり前であり基礎中の基礎であるフローを追わずに、自分がわかっている内容を、自分にだけわかるようにスピーチするので、ラウンド内で僕のいるベンチが何をしたいのか、また、なぜそれが達成され、なぜそれが良いのかなどといったディベートで勝つために必要なイシューを出すことを完全にしていなかった。リーダーとして決定的な欠陥であり、如何に上手いメンバーがいたとしても、そのポテンシャルを引き出すことなく足を引っ張って終わってしまう結末は明らかだった。ここにおいて僕は、この問題を作り出した張本人である僕自身の身勝手な思考ではなく、より高いレベルからの、そしてより客観的なレベルからの救済を必要としていた。


初の公式戦であり、初のブレイクラウンドであり、初のGrand Finalを乗り切り、初のChampion、初の2ndベストスピーカー賞などを体験した梅子杯は、その大会が始まる前からまさに苦難に満ち、大会の途中も決して無傷などではなく多くの傷を負いながら終えた。悩み、改善しようと試み、打ちのめされ、また悩みながらも少しづつ前進して勝ち得た梅子杯での栄光は僕自身にとって極めて感慨深いものであり、その感慨を主にエリミネから梅子まで、梅子1日目、梅子2日目のブレイクラウンドの3つの視点から整理したいと思う。

POI!!!


梅子杯はその大会自体の一ヶ月以上前から事実上始まっている。梅子杯には各大学2チーム合計4名までしか出場させることができないため、参加希望者が多い大学ではエリミネーションと呼ばれる部内戦を梅子杯の一ヶ月ほど前に行い、各大学を代表する2チームを決定する。今年のICU DS内での参加希望者は12名。銀杏杯チャンピオンや様々な大会を経験したICU DSの1年生の中の誰が参加するかの情報は公開されない中、夏休みをラグビーに捧げた僕の焦りはこの時点で既に大きかった。第一の難関であるICU DS内での殺し合いともいえる凄惨なエリミネを乗り切るために、僕はその時点でやれることをできる範囲で意識的に行い、欠陥はできる範囲で修正することを常に意識しながらラウンドをこなした。結果は2位での通過となり、1位の瞳からの指名を受け、ICU AのLeaderとして梅子杯に向けて動くことになった。しかし、エリミネを生き残ったという感慨などを感じる暇もなく、やることは極めて多いと感じていた。伝説的な先輩方からの指導を吸収するためには何が必要か考え、この時点では、先輩から言われたことをただ鵜呑みにするのではなく、自分なりの工夫を加えながら前進することのみを考えていた。まだアインシュタインの引用にも出会わず、仮に出会っていたとしても、その意味を今のようには理解できていなかっただろうと思う。今後明らかになる根源的な問題に対する改善への道筋はまだ見えていなかった。

梅子杯までの期間は短く感じた。瞳は頼れる大きなパートナーであったが、プレパで失敗すると二人とも共倒れになり何もできないという大きな欠陥を知った。ここからできる範囲で昼休みや授業の空き時間はプレパ練に割くようになり、プレパ中のルールも常に反省をふまえながら修正を加えていった。しかし、練習ラウンドをこなす度により明らかになったのはICU Aというチームとしての欠陥以前の、僕自身のスピーチの欠陥である。自身のスピーチがラウンドのどこの要因に関わり、どこに貢献しているのかわからない状況が続いた。Leaderとしてやるべきディベートの核となる部分を作り上げること、すなわちモーションを肯定/否定することで一体何が変わるのか、といった話に集中できていなかった。外堀ばかりを、しかもその外堀の1つの石を磨き、核となる城の本丸の完成を目指していなかった。焦りが増すが、同時に「自分が、自分が」という思考が優勢になり、ディベートのラウンドに対してもラウンド全体を見渡すような広い視野を持つことができなくなり、近眼的で独りよがりなスピーチを重ねていった。自身を超越するような圧倒的外部からの介入が必要となっていた。ここでまず参考にしたのはパートナーの瞳である。SQ vs APで分けてシンプルに考えることを一番近い場所から教え、支えてくれたのは彼女だ。彼女の成功やディベートの上手さを吸収したかった僕は、僕なりに彼女を参考にし始めた。しかし、何より、部長である佐々木光貴という男のリフレクが一番強烈で効き目があった。とにかくSQ vs APという対立軸でやれ、ということを繰り返し、しかも的確な言葉でまくし立てる彼に何度も精神的に打ちのめされそうになったが、とにかく当日までには僕のスピーチを何とか形にしたいと思って、部長の厳しいアドバイスを受けとめた。この外部からの、僕自身よりも遥かに上のレベルからの指摘を素直に受け入れる土台ができたのは、梅子杯前日の練習ラウンドの後のことであった。アインシュタインの引用を(自分に都合のいいように)解釈する素地ができたのも、この日の夜、すなわち梅子杯前日の夜のことであった。

予選ラウンドは苦戦した。1st RoundではAGU A(青山学院大 A)、2nd RoundではSophia A(上智大 A)、3rd RoundではHit-U A(一橋大 A)、4th RoundではUT A(東京大 A)と、まさに優勝候補のみと対戦したような印象であった。しかし、大会前日までの反省点、また頂いた素晴らしいアドバイスを元に、SQ vs APという明晰判明な対立構造をLeaderとしてつくりあげることに専念した。独りよがりなスピーチを捨て、光貴さん、パートナーの瞳から貰った貴重なアドバイスに忠実に従うことを目指した。伝説的な成功者である光貴さん、同期で既に輝かしい戦歴を誇る瞳のアドバイスは絶対に役に立つと信じ、そしてあのアインシュタインの言葉から何故か勇気を貰いながら戦った。1st Roundで、とにかく教えを守り、シンプルなポイントを立て切り、苦しかったが勝利。2nd Roundも相手のスピーチやポイントにうろたえながらも、最後まで自分たちのベンチが守りたかったものを示せて逃げ切れた。GovサイドのBurdenが極めて重いと感じた3rd RoundもGovベンチとしてSQの問題が如何にマズいものであり、モーションでどう変わるかを示せたから勝てたと思う。しかし、最後のラウンドは相手がUT Aということもあり、緊張して自分たちのポイントをガッチリ立て切れなかった。UTサイドのケースは削った感触はあったが、ポジティヴに勝った印象はなく、予選唯一の敗北を喫していた。しかし、教えを守る過程で、僕がディベートのラウンドで何をしたら良いのかが少しづつ見えて来た。大会当日で道が見えたというのでは遅すぎると思ったが、それでも一日目を通じて僕は少し変われたと思う。自分がやりたいことをやるのではなく、勝つために必要なことをまずはこなすこと、またその感触を得られたと思う。

GFプレパ!


ブレイクラウンド、すなわち決勝ラウンドでもやはり強敵と遭遇し、神経を削った。Oct FinalではTi-Tech A(東京工業大 A)、Quarter FinalではSophia B(上智大 B)、Semi Finalでは無傷の予選トップ通過のKDS A(慶應義塾大 A)と、そしてGrand Finalでは予選で唯一敗れた相手である無傷のUT A(東京大 A)との対決であった。帰国子女、留学生を抱える各チームを前に純ジャパである僕の緊張はさらに大きかった。各チームの噂も聞いていた。簡単には勝てないことは見えていた。しかし、だからこそ、一日目と同じように自分たちのアーギュメントを簡潔にし、一つのアーギュメントを完全に立て切ることをここでも目指した。アーギュメントをSimplerにしようとしたわけではない。Simpleを追求した。Simpleにするために切り落とすことはしなかった。Simpleにするためにこそ、problem or harm, reasons, logicsなどのイシューを練り上げ、アーギュメントを錬成した。そして教えを忠実に守ることを目指し、SQ vs APという対立軸で簡潔に見えるようにすることを目指した。この過程でlogicsを飛ばしたことや、そもそものSQでの問題を見誤ったこともあった。しかし、自壊しそうになりながらも、傷を負いながらもSQ vs APの比較で得られたイシューを最後まで貫くことができ、一命をとりとめた感触であった。上手くできたかはわからないし、個人的に満足いかない点も多かったが、Oppositionベンチの場合は相手との比較を早い段階で見せながら自分たちのケースの優位性を見せることへも挑戦した。人の話、僕よりも高いレベルにいる人の話を、僕のレベルに落とすのではなく、なるべくその高いレベルのまま聞き、受け入れようとする準備ができていた。駒を進める度に挑戦し、できる限りの力でつくりあげた。後ろを、下を見ることではなく、前と上を見ることを目指し、駒を進めた。苦しい戦いの最後に待ち受けていたグランドファイナルもまた、苦しかった。UT AがGovベンチとして提示したケースは想定していたものと全く違った。混乱し、自信を失った。しかし、だからこそ、教えを守ることを誓った。逆境にいたからこそ、Govベンチから飛んでくるPoint of Informationに応じ、自分たちのケースを強めようとした。ラウンドが如何に錯綜していたかは、極めてクロースであったジャッジのディシジョンが示していた。完全勝利とはいえない超僅差での勝利であったが、信頼をもってSQ vs APという教えを守り、勇気を持って相手ベンチに応じて勝ち得た栄光であった。

振り返ってみると、梅子杯を通じ、強敵と戦う過程を通じ、自分自身の体験として勝つことを学び、勝つために必要なことを学び、ディベート的な意味での勇気や信頼というものを学んだと思う。課題も多かった。しかし、僕は今大会を通して僕自身のディベートのファンデーションとなる部分を得たと思う。SQ, APそれぞれのメカニズムの詰めが甘いこと、Refutationが非効果的で雑であったり、ポイントも1つしか立てるキャパシティが無いなど、まだ先は長い。でも、それぞれの欠点を直すための素地とでもいうもの、これからの長いReconstructionの道のりを耐えることができるであろう土台を得ることができたと思う。妥協した上でのSimplerなポイントではなく、Simpleで明晰かつ判明なスピーチを目指す過程で、僕は文字通り変化し、次へとつながる重要な財産を得たと信じている。瞳とともに当初の目標であった梅子杯での優勝ということを達成できたことも大きいが、僕自身の内的な変化、また自分自身で「変化した」と言えることこそが、実は僕にとっては最も大きな達成であった。僕の独りよがりな目線で梅子杯を総括するとすれば、それは、僕が自身の変化をリアルタイムで体感し、新たな装いへと明確に前進することを体感する大会であったと思う。


“The value of a man should be seen in what he gives and not in what he is able to receive.”
- Albert Einstein

アインシュタインはこのようなことも言っていたそうだ。僕はまだ「自分が何かを得る」段階を抜け出してはいないし、その段階ですら先乗りはまだまだ長い。しかし、いつか、それは遠い先かもしれぬが、僕が何かを与えることができるようになり、またその与える行為に僕自身も多大な価値を見いだすときがくると信じている。今回は梅子杯を文章で振り返る機会を与えていただいたが、なにか完全に個人的な振り返りになってしまったと思う。でも、いつか僕がこの僕自身の文章を見返すことで、この梅子杯を通じて考え、得たと思っているものを見返せると良いなと思う。

ひとみGF!!!


梅子杯を通じて、まず、パートナーの瞳に多大な感謝の念を感じる。彼女は僕に様々なことを一番近い位置から、本当に辛抱強く教えてくれたと思う。また、彼女が同じ16のICU DSのメンバーとして僕から近い位置で大活躍していたことで、何かディベートに関するモチベーションや一種の目標を持てるようになったと思う。ありがとう。部長の光貴さんにも大きく感謝したい。彼がいち早く僕の問題を発見し、適切な言葉で僕の「診断」をしてくれたと思う。その過程で最も明晰かつ判明な道を示してくれたのも彼だと思う。3年生として様々な面で忙しい中、僕と瞳の練習に一番多くつきあってくれたのも彼だ。本当にありがとうございました。近い位置から支えてくださった先輩やOBの皆さんにも感謝しています。そして、何より、僕と長い時間を過ごし、様々な壁に悩み、時には楽しく、また時には真剣勝負をして接してきた16のICU DSのメンバーにもありがとうと言いたい。これからも何かと迷惑をかけたりするかもしれないけれど、何というか、これからもよろしくお願いしますと言わせてもらいたいです。一緒に頑張ろう。

おつかれさまの図。こーきさんの優しいまなざしに注目です :)



さて、いきなり引用で始まり、なんだかガッチガチの文章でドドドドドと書き、謎の引用(2回目)で終わったという、僕が「自分の好き勝手に話した」「(ある意味)致命的な」感想ですが、上記のようなお堅い感じの感想だけではなく、そりゃもう、色んなことを思いながら終えた大会でもありました。当日の朝に寝坊して自転車で会場に向かうグループの集合時間の15分前に起きて大急ぎで寮を出たり、僕の魂(ソウル)フードであるカ◯ビー社のフルグラが無くなっていて朝ご飯抜きだったり、大会中もなんだかんだ言ってお腹痛かったり、スピーチで調子乗りすぎて喉がカラカラになってコカ◯ーラ社の「綾鷹」を求めて自動販売機をパートナーの瞳と探したり。2日目の津田塾大はなんかキャンパスがヤバくて、でもBriefing Roomは寒くて、1日目同様にこーきさんがお菓子を沢山くれてそれで(色んな意味で)お腹いっぱいになったり、瞳が緊張しているのを見て僕も何故か異常に緊張したり、グラファイでPOI用に渡されたマイクを見て「ことの重大さ(謎)」を再認識したり、と。でも、梅子杯を通じて何よりも強く思ったのは「このディベートという世界をもっと知りたい。ここでもっと長い時間を過ごしてみたい!」というもの。今までは「(まぁ、何となく)ディベート頑張るか」程度だった僕のマインドセットは「ディベートを頑張ろう(確信)」という、まぁ自分にしかよくわからない程度にですが、より確固たるものへと変化したと思います。梅子に出てよかった!ICU DSでディベートできて良かった!僕は梅子で終わる人間になんてならないぞ!まだまだ先はあるしもっと練習するぞ!!( ^ω^)

(  ゚ω ゚)あ、僕からは以上です。

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素晴らしい感想文が届いて、広報はとってもびっくりでした。笑
たかひこ ありがとーう。

ものすごい笑顔のたかひことひとみが印象的でした。


ICU ICU ♪


たかひこも書いていますが、梅子はあくまで通過点。
梅子は毎年、重要視されがちな大会ではありますが、他にも大会はたくさんあります。
ICU Bの2人もずっと頑張って練習していたのを知っているし、梅子に出られなかった一年生もたくさんいました。でもここで立ち止まらずに、どんどんその悔しさを次の大会にぶつけていってほしいなって思います。

おつかれさま!


せっかく一眼レフもって応援に行っていたので、いつもより写真多めでおおくりしました。
みきでした!

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